月日星
(月日星=鶯のさえずる声 (デジタル大辞泉より))
古備前友成による太刀・鶯丸(鶯太刀友成、鶯丸友成)に関して調べた情報をまとめていくサイトです



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三月十五日の小笠原の祭祀と鶯太刀祭 <---NEW!


鶯丸明治時代来歴と誤伝まとめ

鶯丸献上前後評価まとめ

明治時代の鶯丸関連新聞記事まとめ

小倉小笠原の刀剣まとめ

PDF 置き場




鶯丸を嘉吉元年五月二十六日(1441/6/15)に足利将軍義教より 小笠原政康が拝領したときの御内書(感状)の内容 [A1]「小笠原文書」より

今度結城館の事 即時攻め落とし 凶徒等悉く討ち捕り
剰(あまつさ)へ春王丸・安王丸虜(いけど)り畢(おわ)んぬ
武略比類なし 尤も感じ思し召し候
仍つて鶯太刀友成一腰これを遣わし候なり
(読み:[B1]信濃史料より)

鶯丸がたどった道と元主の情報に関して、参考文献を元につらつらとまとめる予定。 (今は参考文献ばっか)

まだまだ途中ですが順次上げていきます

鶯丸来歴の概略

鶯丸、鶯太刀は、古備前の友成作の太刀。
銘は佩表に「備前国友成」
史料における初出は、嘉吉元年5月26日(1441/6/15)に結城合戦褒賞として将軍足利義教より 信濃守護小笠原政康に感状と共に与えられた太刀として。
感状には鶯太刀友成とある。[A1]
政康の死後、惣領争いにより小笠原家は三家に分裂。
鶯丸は政康の次男を祖とする松尾系小笠原家の後裔に伝わる。
江戸に入り本庄(現埼玉県本庄市)、古河(現茨城県古河市)、 関宿(現千葉県野田市)、高須(現岐阜県海津市)を経て
勝山(現福井県勝山市)藩主となる。
勝山藩主信胤の時代に将軍吉宗に感状と共に台覧されている記録が残る。[A6] [A10]
明治維新、廃藩置県後、小笠原家は東京に移住。
明治21年11月6,7日に靖国神社遊就館において足利義教からの感状と共に一般公開。 翌明治22年11月にも遊就館において公開。 [F1][F10]
その後小笠原家改革の折売りに出されてんてんとして所在不明だった鶯丸を探し出し 交渉の末明治32年頃旧対馬藩主の宗重正伯爵が手に入れる。 [F3]
(宗重正はM13年前後に小烏丸を手に入れ、M15に小烏丸を献上している人物。)
M35重正没後の明治39年に宗重正子息の宗重望から宮内大臣田中光顕(当時子爵)が買い上げた[C1]。
明治40年の茨城県結城市で行われた陸軍大演習での大本営に 明治天皇が行幸(11/14〜20)のさいに結城に縁があるとして田中光顕伯爵より献上された [C1](献上日未詳)
献上前フクレがあったとされるがフクレ直しの名人高田庄左衛門により修復され献上されたとされる。[D12]
献上前においても鶯丸の評価が 高かったことから大きな疵瑕ではなかったと思われる。

現在も皇室所有の御物となっており、義教からの感状も付随している [G1]


室町時代から鶯丸と呼ばれていたようだと書かれている現代の書籍があるがよくわからない。
(室町時代に書かれたもので残っている史料が感状以外にみあたらない。)
勝山に移封翌年の元禄5年(1692年)に書かれたと思われる[A13]「八幡宮菱華銘」 に”鶯丸”の名が出てくる。
大日本刀百科事典[D2]において室町期に「鶯丸」と呼ばれていたという根拠とされる慶元古文書には「鶯太刀」とある。 [A2]
田中光顕伯の前に秋元子爵や山本達雄氏が入っている書籍、サイト等ありますが
田中伯本人が宗重望から買ったといっているので、他の説は他の友成と混同して伝わっていると思われます。
(山本達雄氏の友成は、現東京国立博物館蔵、国宝を示すのではないか?)

[]内は参考文献ナンバー

参考文献リストとその概要と詳細

PDF 置き場

-------TOPICS--------

小笠原文書・鶯太刀の流転の旅路まとめと考察(足利家から勝山藩まで)

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厚藤四郎は明治から昭和の頃徳川御三卿の 一橋家ではなく田安家にあったことを参考文献と共にしめしています。



刀剣本や、他サイトに記載されている内容と異なる内容が記載されていることも多々あるとおもいます。
2説相反する説が存在するような内容に関しては 比較検討していきます。
リンク集
参考文献検索に有用なツールなど

ご意見、ご情報、誤情報等ありましたらtwitter @WagtailW
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参考文献は日々ちまちまと増えたりしています
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