各種家譜

家譜は、それぞれ独立の文書ではなく 各家でまとめられたもとを幕府に提出し、編纂されている。
そのため、家譜に関しては本ページでまとめて紹介する。
家譜を読む前の注意としては、鶯丸(鶯太刀)を拝領した政康が没後 小笠原家は後嗣争いで3家に分裂します(本ページ下の家系図参照)。 政康次男を祖とする、松尾系と言われる家系は後の勝山藩主となり明治維新を迎えます。 この家系に鶯丸(鶯太刀)が伝わりました。
政康兄・長将の子を祖とする府中系と言われる家系は後の小倉藩主となります。 (家系図では小倉、中津藩に分かれていますが宗家は小倉藩のほう。)

勝山藩小笠原家の家譜

政康より前の部分に関しては、逸話等が残っておらず 「小笠原文書」御教書、御内書の内容がそのまま書かれている。
結城合戦褒賞として政康が拝領した太刀は、感状の内容と共に「鶯太刀友成」と伝わる。 (下図参照)
寛政重修家譜第百九十五の信胤の項に『久國眞長の太刀ならびに友成作の鶯の太刀等を台覧に備ふ。』 とある。

小倉藩小笠原家の家譜

小笠原家累代の様々な逸話が入っている。 結城合戦褒賞として政康が拝領した太刀がすべからく「守家」太刀となっている。 (下図参照)
鶯太刀と守家を両方拝領したとは考えらえず、鶯太刀が残らなかった家系における 事実のすり替わりか?
家譜においては、政康の子孫として書かれているが 政康兄の長将(何らかの理由により長子であるが家督を継げなかった)の 系譜であるのが現在の定説。
そもそも、政康の子vs長将の子で後嗣争いのもめごとが発端している。
政康は、小倉藩小笠原家においても中興の祖貞信と並び、英主と称されている。 (小笠原の信濃守護としての地位を回復し、武勲も多い。)
"結城合戦褒賞の太刀"は小笠原の最大の武功アイテムの一つとして外せなかったか?
また、貞慶の項に「鶯」という太刀が出てくるが摺上げとあり、 友成の鶯太刀とは別のもので、小倉藩小笠原家に伝来している。 ([A12]御当家末書に記載あり)。
「溝口家記」が成立年として最も早く、これを元にその後の小笠原家譜が編纂されている。
嫡流を標榜するための改竄は、家譜あるある。

家譜ごとにかかれた「結城合戦褒賞の太刀」について



鶯太刀友成は、皆さまご存知の通り明治維新まで伝わり現在御物となっていますが、
守家の太刀も実体を持っており、 小倉藩小笠原家に伝わっている。(忠雄の時代の宝刀リストに入っている。)
ただし、守家は無銘。当然感状もついてない。

小笠原家家系図室町〜江戸初頭(家譜に書かれた通りではなく、現在の定説による) (twitterにあげたもの。おいおい改訂していく予定)


松尾系・信嶺系小笠原家系図(明治まで) (荘内神社に行く前に作ったので酒井忠次がフィーチャーされている。)

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