刀剣談

羽皐隠史(高瀬真卿) 著, 日報社, 明治43年6月出版

「刀剣談」は「東京日々新聞」に掲載するために五十回書いて、 読者の希望で「続刀剣談」として 二十五回書き継いで、二十回余り書き添えたものを、 一冊の本としてまとめたもの。
(はしがきより)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/854220 (オンライン閲覧可)

第二門 御物

P21 (コマ番号35)小烏丸の項
(略:小烏丸の話)
『然に奮幕時代に、此寶刀が伊勢貞丈の家に伝つてゐたと云ふ話が知れ、
維新後に宗伯爵が足利家より小笠原へ賜た鶯丸(後に此刀の事は説く)と共に 小烏を買取て秘蔵したが、宗家は平知盛の子孫と云ふ事だから、
平家の重代が同家に入ったのも面白い事ことである。 』
=> 鶯丸は明治21年まで確実に小笠原家にあり、宗家に在ったのは明治32〜39なので "小烏丸と共に"というのは正しくない。=> 明治期まとめ参照

P25 (コマ番号37) 備前友成の項
『御物の中にある備前友成の御太刀に就て吾等の密に伺ふ處では 水戸家重代の友成、是は烈公*1殊の他御秘蔵で、 金の兵庫鎖りの御拵へが出来て居た。 柄は朱糸で巻て鞘は銀の薄がねで包み、 金にて「紅葉と身はちぬとも武士の名をば雲井の風にあぐらん」 と御自筆を象眼にしてある。この御太刀は烈公正一位の御贈位が あつたとき*2献上した物である。
また越前勝山の小笠原家重代の鶯丸友成、この太刀は足利尊氏(原文ママ)より 小笠原家の祖先が賜つたもので、維新後いかなる謂か宗伯爵の先代*3が 小烏丸と共に手に入れて持て居られたが、小烏丸は献上して 御物となり、この鶯丸のみ二三年前まで宗家にあつた*4のを、 田中伯(光顕)が買受て献上した。
其から姫路の酒井家より献上の友成がある、 別役少将*5の話に鶯丸は生忠(うぶなかご)で備前国友成と五字銘がある、 友成中尤も優れた出来ということである、 序に友成の今日現存して在るのを申せば、伊勢の大神宮に一振、 毛利侯爵家に一振、毛府の毛利子爵家に一振、 厳島神社に一振、これは 平宗盛の太刀、春日神社に一振、談山神社に一振、帝國博物館に一振、 子爵吉川家に一振、まづ欺うである、近ごろ承れは厳島と淡山神社の 友成も御物になつた*6とのことである。』

*1 烈公=水戸の徳川光圀(いわゆる水戸黄門)
*2 烈公正一位の御贈位があつたとき=明治33年 (常盤神社HPより)
*3 宗伯爵の先代 =宗重正
*4 二三年前まで宗家にあつたのを=出版年明治43年で献上は40年。 オリジナルの記事(下記参照)では明治42年8月の記事に於いて3年ほど前にとあり [C1]『伯爵田中青山』 において「献上前年に手に入れた」と合致。
*5 別役少将=別役(べっちゃく)成義 宮内省御剣係をつとめる刀剣界の重鎮。 明治38年に没のため、献上前鶯丸を見ていると思われる。 宗重正、別役成義、田中光彰は明治33年刀剣会設立の発起人メンバー
『当時の刀剣会は毎月例会があり、名剣を持ち寄り主として刀剣の鑑定をやる。 ( [C1]伯爵田中青山:一木喜徳郎寄稿ヨリ)』
*6 [D6,7]刀剣談話、剣話録によると明治32年時点では厳島と淡山の友成は宮内省に御取寄となっている。

元の記事との比較


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