有徳院殿御實紀附録巻七(徳川実紀第六巻)

江戸幕府の公式史書。徳川実紀の名は明治以降。「後実紀」が正しい。
国史大系十四巻(1902-1905編集)より
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991121
コマ番号139
P266
『小笠原左衛門佐信胤よりは。足利将軍義教のとき下されし 御教書及び感状に。久國眞長の太刀(鶯と銘す。)を御覧に呈し 御褒詞を蒙る。』

[A5]寛政重修家譜 信胤の項に、 『久國眞長の太刀ならびに友成作の鶯の太刀等を台覧に備ふ。』とある
久國、眞長、鶯太刀はどれも足利義教から小笠原政康に戦の褒賞として与えられた太刀。
義教からの感状には、鶯太刀のみ号と銘友成が記される。
久國は、永享8年3/6(1436年)に芝生田・別府両城落の功として、 眞長は、永享8年8/3(1436年)に芦田下野守退治の功として与えられた。
([A4-7]小笠原の家譜・政康の項に戦功と太刀銘がある。)
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