厚藤四郎の明治から昭和の来歴と幻の国宝認定に関する考察

明治から昭和にかけて、厚藤四郎は御三卿の一橋家にあったと
書籍にかかれたことにより(おそらく、御物・東博 銘刀押形が原因)
現在では「厚は一橋家伝来」とされていますが、
実際には御三卿の田安家です。
その根拠となる資料の提示と、
厚は昭和13年に旧国宝の認定を受けていたのではないか?
ただし、正式認定の前に帝室博物館に納まったので
資格喪失したのだろうというまとめです。


















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