明治21、22 年11月の一般公開に関する記事[F1][F2][F10]

鶯丸が明治21年に靖国神社で感状と共に一般公開されている。
(公開は5日から?6日から?)
御物の次に挙げられている&2日に記事が出ているので 鶯丸はかなりの目玉だったのかも
明治21年の時点で、”光芒陸離一見をして寒からしむ”と絶賛されている
光芒-光のほさき
陸離-光の分散するさま
(慣用は光彩陸離)
めっちゃキラキラしてて、ふるえるほど・・・・

また[F3]の資料に、遊就館の展示ではずっ友の久國の太刀と共に展示されていたとある。
久國の太刀は、鶯丸下賜の5年前の永享8年に義教から下賜されていて、 共に吉宗に台覧されている。
この久國の太刀も宗重正が所持していた。

[F1]明治21年11月6日 読売新聞,東京日日新聞,毎日新聞 等


(どこの新聞もほぼ同じ内容です。)
「靖国神社大祭」
今明両日は靖国神社の大祭なるが同社にては 社殿脇へ一の暇屋を設け豫定の如く昨日午後七時より 旧久留米藩士真木和泉守他十七名の招魂祭をも執行し本日は競馬、 明日は能及び富士見町木村官兵衛の奉納に係る競馬あり尤も雨天なれば 順延との事又右大祭に付同境内の遊就館は昨日より大祭中臨時総覧を許さるる よしなるが今度諸家より同館へ出品ありし内著しきもの左の如くなりと
宮内省より金装の御太刀
子爵小笠原長育氏より備前友成刀(鶯丸と称す)但足利義教将軍感状添
子爵本田忠教氏より国次刀、中島来刀
侯爵徳川義禮氏より名物貞宗短刀、大進坊祐慶刀
子爵内藤六十麿氏より古い蒔絵鞍
公爵毛利元徳氏より金造短刀岩倉住行観造にて贈従一位敬親氏常に帯せし品
子爵有馬道鈍氏より正恒太刀
子爵田中光顕氏より一文字貞眞太刀、備前国一文字助宗太刀
伯爵松平基則氏より木村長門守重成差料刀
伯爵伊達宗基氏より南■剣二本
伯爵井伊直憲氏より粟田口久國刀一腰
侯爵蜂須賀茂昭氏より大坪道■の作鞍鐙一ト組
伯爵南部利恭より金造り太刀友成作
子爵伊藤長■氏より國行太刀、糸巻太刀宇多平國、鶴ノ丸紋散蒔絵薙刀

■=つぶれてて読めない

[F2]明治21年11月2日 東京朝日新聞


「宝剣鶯丸」
旧勝山藩小笠原家おいて祖先より伝来の鶯丸と名づくる宝剣は其初足利義教将軍の佩刀なりしを 同家の祖先たる大膳大夫長春(原文ママ)といふ人が賜はり爾後引き続き今日まで伝来せしものなるが作は 備前友成長さ凡そ二尺三寸おいて友成の作よりも最も見事の出来なるがごとく 光芒陸離一見人をして寒からしむるものなるを今度靖国神社境内なる遊就館より 出品して来る六日の大祭より諸人の縦覧を許すよし

[F10]明治22年11月26、27日 読売新聞別刷り


遊就館参観記
〇遊就館参観記   雲錦生 去る二十二日九段坂の上招魂社の遊就館へ参観せり。 本館は陸軍省の所属にして内外国をとはず今古を論ぜず戦争の用具及び一切の 武器図書等を陳列して庶人の縦覧に供する處なり。 春秋二季の招魂祭には殊に諸家の珍蔵を招集して常よりも一層相関をなすを例とす。 依て過日の大祭にも諸家よりの出品数多なれば二十一日二十二日両日を期して 特に紳士貴客又篤志の人をも招きて親しく縦覧をせらるるに付き予が如き古癖生にも 主館今村君より懇厚なる招請を辱(かたじけ)のふして午後より館に昇り 盲眼を喜ばせることとはなりぬ。ここに出品の一班を記さんに
(以下御物の刀とうの目録があげられている。)
特に著名なものをあげると、
厚藤四郎 徳川達孝出品
鶯丸 小笠原長育出品
他名物戸川志津、包丁正宗、荒波一文字、岡本正宗、上野貞宗等


久國の太刀は、永享8年(1436)3月8日付で足利義教より下賜されたもの。 (鶯丸は嘉吉元年(1441)で、その5年前となる) 感状に刀銘は記されていないものの、小笠原家の家譜に付記されている。 鶯丸、久國、眞長の太刀は吉宗にも台覧されている。
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