御当家末書 巻十一

  福岡県史 近代史料編 御当家末書(下)より
P34
(一部内容抜粋)
小笠原家御伝来御具足・宝剣其外武器等之事
一、小笠原家御伝来宝剣
正恒御太刀 (略) 有銘
鳩御太刀 (略) 中心二八幡大菩薩備前国住人右馬之丞次造永仁七年正月日トアリ
鶯御太刀 長サ弐尺四寸弐分、摺上ケ、景ノ一字アリ
甲破御太刀 (略)摺上ケ、無銘也、(略)
右は忠雄公之御家二在り

神息御太刀 御重代(略)
吉光御脇指 (略)藤四郎吉光建弘ノ比作無銘也、(略)名透し貫キアルに因りて透通しトモ云ヘリ
守家御太刀 義教将軍より政康公え賜ル也、長弐尺壱寸四分半、無銘也、守家ハ備前国住人にて宝治ノ比之冶工也
当麻御刀 家康公より秀政公え賜ル(略)
右は小笠原信濃守長圓君之御家ニ在り


家譜において書かれている、結城合戦褒賞としての太刀守家や 鶯という号の太刀が重代として伝来している。

小笠原忠雄は小倉藩主。1673年に長真から忠雄に改名。1725年に死去。
長圓は中津藩主。信濃守となったのは1698年。1713年没。
1698〜1713の間の記録か?

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