本阿弥光遜 著書
本阿弥光遜の著書では鶯丸は旧対馬藩主宗家伝来と書かれている。
鶯丸は勝山藩小笠原家の伝来であり、
宗重正が明治32年に手に入れ[F3]、明治35年に没して息子に相続の後、
明治39年に田中光顕に売っている[C1]ので、
表現として正しくない。
また、宗家から日露戦争(M36,37)の頃山本達雄氏に売却とあるので、
現東京国立博物館の友成と一部混同されているのか?
(鶯丸が御物であるという表現は見当たらず。)
本阿弥光遜著書において他の友成と混同している可能性が高いので
”鶯丸”が、一意的に鶯丸を指しているのか定かでない。
日本刀大観・下巻
本阿弥光遜 昭和17年
国会図書館デジタルコレクション
コマ番号181 P612
「備前国」の章、古備前各系
友成は實成の子と云はれるが、親の實成の實作は残っていない。
友成は古備前刀匠中最も著名な刀匠であって、京三條宗近、伯耆大原安綱と共に
本邦古刀中の三名匠と讃へられているのである。
源義経、平教経など源平両氏の花形武士が、共に友成作の太刀を
佩びていたと傳へられているのも左もこそと思はれて面白い
對照である。
御所の御物に君萬歳と切った太刀があったので昔は
世人友成を指して呼ぶに君萬歳友成と称した。
友成は古代の名刀であるが、現存の名品は他のものに比して多い。
伊勢大神宮の神寶を始め、厳島、春日、談山の各神社にも神寶とされてあり、
旧大名の家にも割合に多く傳へられているのである。
就中(なかんずく)
對州家に伝わった鶯丸友成は傑出したもので刀剣界に隠れもなき刀名と
されている。
[D15]刀剣鑑定秘話
本阿弥光遜 昭和17年
国会図書館デジタルコレクション
「刀剣の相場ピンカラキリまである」の章(P198〜)
「敵に囲まれて」の節
P205〜(コマ番号108〜)
日清戦争の頃から日本刀が幾らか認められたが、大したことはありませんでした。
刀剣で生活する者は、実際食ふや食はずの有様でした。
日露戦争当時でも非常な名刀が百円から二百円で手に入ったものです。
その当時熊本の人で堀部直臣といふ人が、備前国吉岡の一文字助光といふ刀―これは
阿部豊後守洪水の隅田川を馬で乗切って三代将軍から拝領したといふ由緒ある
有名なものですが、それを千五百円で買ったといふので、刀剣界で
非常な騒ぎだつたといふ位でした。
すると今度は益田さんが、一文字吉房を千五百円で買ひ、
山本達雄さんが、
對州家に伝わる鶯丸友成といふ刀を千五百円で買つたので、
兎も角も千五百円といふ値を聞くに至ったが、一般はそんな高い値はなかつたのです。
*****
まず、そもそも鶯丸は對州家=宗家の伝来ではない。
[C1]において、田中光顕本人が鶯丸は宗重望から買ったと言っている。
日露戦争は、明治37,38年。田中光顕が鶯丸を宗重望から買ったのは、
結城大演習前年(=明治39)なので、
時期的には合致している。
山本達雄氏は別の「備前国友成造」の友成太刀を持っていた。
(現東京国立博物館・国宝)
友成が同時期に売買されて、混同されたのか??
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