刀剣と歴史 (工事中)


明治四十三年(1910年)、当時の刀剣研究の第一人者である 高瀬羽皐(たかせ・うこう)師が、
東京都羽沢文庫にて愛刀家への情報誌「刀剣と歴史」を創刊。
明治の廃刀令で日本刀剣文化の衰退を危惧した高瀬師は、
この「刀剣と歴史」誌をもって愛刀家の交流を図り日本刀剣保存会を立ち上げた。
日本刀剣保存会HPより

123号 大正9年12月
主筆・高瀬羽皐
「異説の多き名刀の由来」の項において
-「伊勢家重代の小烏丸」(P5)
『維新後宗伯爵平家の子孫なれば伊勢家より譲受け、数年所持したれと、考ふる處ろありしにや 帝室へ献上して現に御物なり。』

献上(明治15)前の数年間のみの所持であることがうかがえる。 小烏丸を手に入れたのは、明治10年くらいか?(廃刀令(明治9)の関係だろうか?)
[F3]に、廃刀令発布の当時に外国人の手に渡るところを食い止めたとあり。
417号
「研師の回顧」―吉川恒次郎
(P33)
鶯丸友成は献上前に多くの刃ぶくれがあったが、 高田庄左衛門がきれいにふくれをおさめて研ぎ上げ献上。
当時の宮内省の研師、井上行造より聞いた話によると 研ぐ前に押形をとり、 ふくれの部分に印をつけておいたが、
研たての友成と押形を見くらべても 少しも判らなかったそうな。 宮内省では次の研師に鶯丸に手を付けるな、というのが申し伝えに なっているほどで、
吉川氏も息子が御用にでるようになったさいに そのように申し付けてある。


[メモ] []に高田氏のひととなりが触れられている。(奇行が多く、晩年は人に会いたがらなかった。)
423号
鶯丸の押型が載っている。将軍足利義教から信濃守護小笠原政康が拝領したもので、 明治になって田中伯爵が献上とある。
445号
明治天皇と刀剣(下) -千鳥庵主人
「座右の愛刀」の項において(P12~13)
『古備前友成(鶯丸)=田中光顕伯爵より献上。
田中光顕が献上した旨の記述。
結城合戦の小笠原政康の武功と概略。感状とともに下賜されたことが書かれる。
田中伯は、 自詠をそえて、 行在所で献上したのである。
みいくさは戦ふ毎に勝山の城につたへし太刀たてまつる
大前にささぐる太刀のつかの間もわれはわすれじ君がめぐみを


結城合戦は、永享十二年(1440)に始まって一年にわたる攻城の末に、 翌年嘉吉元年(1441)の四月に総攻撃を行って終結。
嘉吉元年5月26日付の感状と共に、鶯丸を下賜されている。